and Me・・・ * Studio Attic   

私がデコパージュと初めて出会ったのは、子供たちの通う幼稚園の
役員を引き受けた1992年の秋。
別の役員さんから、《家庭教育学級》の話を相談された事に始まります。
   う〜ん???何かないかしら??・・・ 
と考えていた時に、デコパージュとやらの講師をしている
学生時代の同級生を思い出しました。
この時の私にとっては、デコパージュなんて聞きなれない言葉で
何であるかも良くわからない状態で
だから、 デコパージュとやらの・・・ だったのです。
彼女は自宅教室のほか、雑誌に作品なども掲載されて、
講習活動も多く、忙しく活動していました。
《家庭教育学級》の講習を相談したら、快く引き受けてくれたのです。
私の住んでいる地域では、
その当時はまだデコパージュの知名度がほとんどなく、
(勿論私も知らないその一人)、大勢の人が興味を持って下さり、
講習会には、定員を倍以上上回る人数が集まることとなりました。
彼女は、「とても一人では教えきれない人数なのでアシスタントを・・・」
ということで私が急遽、一夜漬けの、にわかアシスタントを
務めたのがきっかけで、私のデコパージュ生活が始まりました。
色々な作品を作ってみたい!・・という気持ちが強くなり、
その友人の勧めもあり、大宮市にある教室に通うようになりました。




少しデコパージュが解ってきた私は、その魅力にどっぷりとはまり、
さらに、いろいろな技法を覚えたいという欲が出て、
浦和市の別の教室でもデコパージュの勉強を始めたのが、
1993年春のことでした。
デコパージュは作る人によって、作品の雰囲気が変わってきますので、
当然のことながら、先生によっても技法やアレンジなどさまざまでした。
見るもの、作るものすべてが新鮮で、
どちらの教室もとても勉強になったことは言うまでもありません。
1994年、大宮の教室で講師の認定を受け、
あちらこちらの公民館などでサークルの指導を始めながら、
1998年秋、《指導者養成講座》までを終え、
浦和の教室の看板も手にしました。
あたふたすることもありましたが、人に教えるということが、
自分にとってはとてもいい勉強でした。
また、何と言っても人に教えることの楽しさ、そして共に感動する喜び
それを味わえたことは、その後の私に大きく影響しました。




本格的に講師活動を始めるようになった頃、
あるところで目にした作品に、大きな感動と衝撃を受けたのです。
それは、フェアリーのプリントを使ったテープカッターの作品と、
私の大好きなリシ・マーチンのカードを使った時計でした。
それは・・・なんと表現したらよいのでしょうか。
あの、グラデーションの作り方と、その色の組み合わせ方は
筆舌に尽くしがたいものでした。
プリントも、原画を大幅に超えたアレンジなのに、
その雰囲気は全く変わっていなくて、まるで原画そのもの・・・
このなんとも素敵な色使いと構成、洗練されたセンスの素晴らしさに
ひどく感銘を受け、良い意味でショックでした。
《今までやってきた私の世界と全く違う・・・
この先生は、どんな作品作りをするのだろう、・・・?
何としてもこの先生に師事したい!
と、まずは講師資格を持っていた私は、研究科に通うことにしたのです。
ここで、私は先生の人間性の素晴らしさに憧れ、
熱心な研究心に驚かされるのであります。
そう、何を質問しても、きちんと答えを返して下さるし
常に新しいことにチャレンジし、
絶対にそれをご自分の技術にしてしまうその感性。
《この先生について、もう一度スタートに戻って、1から習ってみたい!》
というわけで、先生の本科クラスで1から勉強させてもらいました。
古いものを尊重しながらも、新しい合理的なものを取り入れていく・・・
毎回が新しい発見で、素晴らしい先生とそして仲間に恵まれました。




私はこの先生の下で研究科コースを2回受講しました。
驚くことに先生の講習は、必ず新しい技法が加わり、
何度受講しても新鮮です。
これは、すごいことですよね。
見習わないといけません。
そして現在、私はカルチャーセンター、公民館、個人サークル、自宅で
デコパージュとパーチメントクラフトの指導をしていますが
これらの講習に先生のご指導が反映出来るよう頑張る事、
これが私の最大の課題です。


             
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